小舟町の歴史
小舟町の成り立ち
小舟町は古くさかのぼれば武蔵国豊嶋郡に相当し、その中の江戸郷前嶋村と呼ばれる地域の一角でした。鎌倉時代の江戸氏の支配から太田道灌、さらに後北条氏を経て徳川家康の統治へと変わっていきました。
家康入国後、この地を漁夫の堀江六郎に与え、魚類を江戸城へ納めることを命じたことから堀江町の町名が付いたとされます。
その後、慶長8年の町割で下舟町ができ、享保5年に「小舟町」へ改められました。日本橋川にほど近い立地から江戸の湊口への物資輸送に大いに利用されたため、小舟町の河岸を小舟河岸や鰹河岸と呼び、江戸の町にとって重要な役割を果たしていました。
現在の日本橋小舟町は約150メートル×約450メートルの南北に長い街です。昭和7年に前述の堀江町一丁目~三丁目と小舟町一丁目~三丁目が合併して現在の形になりました。合併時は小舟町一、二丁目に分かれていましたが、後に合流し、「丁目」の設定のない単独町になりました。
大商人の街
明治初期からこの町を地盤にたくさんの人物が金融界や実業界を動かしていきました。その一つに安田善次郎氏が創業した安田銀行発祥の地(現みずほ銀行小舟町支店)があります。
その他にも油商や砂糖問屋、鰹節問屋、乾物問屋、綿糸業界などが多く店を並べ、明治から昭和初期にかけて富商が多かった街です。その名残りが浅草寺の小舟町大提灯、成田山新勝寺の大香炉に見られます。
浅草寺宝蔵門「小舟町大提灯」
1684-87年、鮮魚・鰹節などの扱いで財を成した小舟町の商人達が信心の心意気を表し、浅草寺(現宝蔵門)に小舟町の町名を大書きした大提灯(高さ約3.75メートル、約400キログラム)を奉納して以来、350年余り経ちます。
10~15年おきに大提灯は新しいものに架け替えられますが、先祖の意思を引き継ぎ町民の浄財にて現在に至っています。
350年以上も前の心意気と歴史が引き継がれていることも小舟町という町の特徴です。
成田山新勝寺の大香炉と香閣
成田山新勝寺にはご本堂前に人間国宝の鋳金工芸作家、香取正彦氏により手掛けられた立派な大香炉があります。その香炉には小舟町の名が刻まれています。
この大香炉と香閣は昭和43年3月28日にご本堂の落慶の御開帳に合わせ町内会有志の浄財にて奉納されました。
小舟町会と成田山新勝寺の所縁は深く、少なくとも文化文政(1800年代)には町内会有志による成田詣でが始まっていたようです。